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福岡県行橋市よりローカル・ニュースを写真付きでプロ野球観戦記と共に配信。
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今朝は小倉八坂神社の東大鳥居の写真です。大鳥居の右側にある大石と左側ある割石が置かれています。

この大石は細川忠興が小倉城を築く際に、大谷から運ばせたものだそうで、余りの重さに大石は途中で動かなくなったそうです。激怒した忠興は、家臣を手討ちにしたところ、大石は小倉まで運ばれてきました。これを聞いた後の小倉藩藩主の小笠原忠総が「二つに割って運べば命まで奪わずにすんだものを。」といったという話です。

明治に入ってからは、この大石をにらむと成功すると言われ、この石を見上げて「自分も出世し、このように人から見上げられる人物になるぞ」と誓ったので「出世石」とも言われました。

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今日・明日は天気は悪いようですが、次第に春めいて来るかと思います。

ヤクルト・由規が今年は順調にキャンプを消化しているようです。大谷の前に霞んでしまいましたが、日本人最速の161kmを記録した投手でしたが、故障を多発し、2012年より三年間一軍での登板がありません。一軍での通算成績は26勝26敗、防御率3.46という成績です。まだ25歳、復活を遂げれば、まだまだ活躍してくれそうな投手で、直球で押し捲る由規先発の試合は見ていて楽しい試合のひとつでした。

今朝は小倉城堀端から見るリバーウォークの景観です。


昨夜の雨も朝には上がって午後には晴れ間も出そうです。今月末から来月の初旬は天気は悪く、寒波も到来という天気予報になっています。
暦の大寒・小寒の季節柄、体調に留意し、風邪を引かないように用心しています。

清水隆行という打者のことを思い出しました。1995年ドラフト三位で巨人に入団、東洋大卒で一年目から打率.293、11本塁打、38打点と活躍しました。長く仁志と一二番コンビを組んで、攻撃型の二番打者として名を馳せました。2002年には191安打を放ち、最多安打を獲得しています。

思いっきりの良いスイングが特徴的な打者で、打球の早さはぴかイチでした。
2006年に不振をきわめてから、豪快な打撃を取り戻すことなく、西武にトレードに出されましたが、復活を遂げることなく一年で引退しました。

今朝は田圃のメダカ池と山の風景です。

20日が大寒で、寒さも峠になりました。昔は大寒の雪も小寒には溶けるとも言われ、和らぐ春の季節に草木の芽立ちも見られるこの頃に変わりました。
 
近くのセブン・イレブン店の改造工事も終わり、今日朝7時から開店します。規模も少し大きく模様替えでしよう。
 
小屋の縮小工事も終わりました。長い眠りから大自然も眠りから目覚め、木々の小枝には新芽の準備も進み小枝には蕾が膨らみ初めていました。

香田勲男という投手のことをふと思い出しました。妙に記憶に残っている投手で、調べてみると伝説となっている1989年の巨人と近鉄の日本シリーズで、巨人三連敗の後先発し見事勝利投手、巨人怒涛の四連勝の最後の試合も香田が先発勝利という快投を演じたことで有名でした。

巨人とその因縁ある近鉄に16年間在籍し、通算67勝54敗、防御率3.82という成績でした。快投を演じた1989年でも成績は7勝3敗、翌1990年がキャリアハイとなる11勝5敗でした。晩年はリリーフとして活躍しました。

もともとは先発ローテの谷間の投手だったのをローテの柱の投手と勘違いして成績が伸びなくなったと本人が言っているそうですが、1989年日本シリーズの大活躍を見るとそれも仕方ないかもしれません。来年からは阪神の二軍投手コーチが決まっています。

今朝は小倉城天守閣広場に昔から陳列してある山砲と砲弾の写真です。大正・昭和
初期頃の遺物かと思います。
JAL

朝の日の出は7時半少し前で、少しづつ朝も夜明けが早くなつてきましたが、まだ朝は寒く風も冷たい毎日です。特に早朝に用事はありませんが日照時間が長くなり始めました。

今朝は病院行き予約日です。これも日課の内です。今、インフルエンザが流行する時期です。今年の患者数は昨年以上だそうです。人ごみの中に行く事もなく、風邪を引かないように自己管理しています。

野球も選手は自主トレに精を出している時期です。スキルアップした選手たちのグランドでのプレーに期待したいものです。

唐突ですが、阿波野秀幸という投手のことを思い出しました。1986年のドラフトで巨人、横浜、近鉄の三球団が競合、近鉄が交渉権を引き当てて近鉄に入団、翌年15勝12敗、防御率2.88の成績で新人王を受賞しました。以降、四年連続で二桁勝利を上げ、最多勝を一回、最多奪三振を二回獲得するという大活躍でしたが、1991年以降成績が急落、1994年には巨人にトレードに出されます。巨人での三年間は結局未勝利、1998年には今後は横浜にトレードに出されます。奇しくもドラフトで競合した三球団全てに在籍しました。通算成績は75勝68敗、防御率3.71という成績でした。

亜大卒でしたが、20代後半より急に勝てなくなった阿波野が意外でした。同期のライバルと言われ新人王を争った西崎幸広は127勝を上げていますので、生涯成績も差がついてしまっています。今年も大活躍する新人が出てくるかもしれませんが、長くプロで活躍することは難しいようです。

今朝は久し振りの北九州空港で撮影した日本航空機の写真です。
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